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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)1518号 判決 1984年7月25日

原告 井上欣仁外一名

被告 日本高圧瓦斯工業株式会社

主文

1  被告は、原告井上欣仁に対し金一五六万六六〇〇円、同原田彰夫に対し金二二七万六五四〇円およびこれらに対する昭和五八年一〇月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文一、二項と同旨の判決、並びに仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告井上欣仁は、昭和四六年一〇月一日、同原田彰夫は、昭和四四年一〇月一八日、それぞれ被告に雇用された。

2  原告井上は、昭和五八年八月一五日、被告に対し書面をもつて雇用契約の解約を申入れ、原告原田は、同年七月末までに同様にして解約を申入れ、そして、原告らは、同年九月一五日までに、事務引継を行ない、同日自己都合により退職した。

3  被告会社には昭和五二年改正の退職金規定が存するが、これによれば、自己都合による退職の場合、退職時の月額給与の本給(附加給を除く基本給)に勤続年数を乗じた額が退職金として退職日から一か月以内に支給されることになつている。

4  原告らの退職時(昭和五八年九月)の各本給と勤続年数は、別紙(一)表記載のとおりであり、そして、本件退職金規定に右各原告らの本給、勤続年数をあてはめて退職金額を計算すると、別紙(二)表記載のとおり、原告井上については一五六万六六〇〇円、同原田については二二七万六五〇〇円となる。

5  よつて、被告に対し、原告井上は退職金一五六万六六〇〇円、同原田は退職金二二七万六五四〇円およびこれらに対する原告らが退職した昭和五八年九月一五日から一か月経過した後の昭和五八年一〇月一六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、原告らがそれぞれその主張のとおり被告に対し雇用契約解約の申入れをしたこと、九月一五日より出勤しなくなつたことは認め、その余は争う。

3  同3の事実は認める。

4  同4のうち、原告らが昭和五八年九月一五日に退職したとした場合、原告らの退職金額が別紙(二)表記載のとおりとなることは認める。

5  同5の主張は争う。

三  抗弁

1  従業員の退職につき、被告の就業規則一二条が、「退職を願出て、会社が承認したとき」に退職の効力が発生し、従業員の身分を喪失すると規定しているところ、被告は、原告らの退職申入れに対し、未だこれを承認していないから、原告らの退職の効力は発生せず、従つて、原告らには退職金請求権が発生していない。

2  仮に、原告らが被告を退職したとしても、前記就業規則一五条は、「会社は、従業員が円満なる手続により退職するとき………退職金を支給する。」と規定し、そして、退職の手続については、同就業規則一三条が、「従業員が退職を希望するときは一か月前、役付者は二か月前に退職願を提出し、会社の承認を受けなければならない。」と、また、同規則一四条が、「退職したときは直ちに業務の引継をなす。」と各規定するところ、原告井上は摂津営業所長として、同原田は同営業所主任としてそれぞれ右役付者であるから、右規定に基づき二か月以前に退職願を提出する必要があるのに、いずれもこれをなさず、また、前述のとおり被告の退職についての承認を得ず、かつ、退職にあたり事務引継を全くなしていないのであるから、原告らの退職は、右規定にいう円満なる手続による退職には該当せず、従つて、本件就業規則一五条により原告らには退職金請求権が発生しない。

3  仮に、原告らの本訴退職金債権が認められるとしても、被告は、左記のとおり、原告らの不法行為により合計四四〇万六〇〇〇円の損害を被つたので、昭和五九年四月一八日の本件口頭弁論期日において、左の損害賠償債権四四〇万六〇〇〇円をもつて、原告らの本訴債権とその対等額において相殺する旨の意思表示をした。

すなわち、原告らは、共謀のうえ、退職後である昭和五八年一〇月頃から同年一二月頃までの間、別紙(三)表記載の被告の各得意先に対して、被告が近く倒産するから商品が入らなくなるし、また現状においても安定供給を継続することは不可能となる旨の虚偽の事実を申し向け、得意先を不安がらせて被告に対する発注を減少させ、そのため被告は、昭和五九年一月から同年三月末までの間、別紙(三)表記載のとおり売上げ額において一か月当り二七〇一万円、粗利益額において一か月当り平均八〇万二〇〇〇円の各減少となつた。従つて、被告は、原告らの右営業妨害行為により右三か月間の得べかりし営業利益相当額合計二四〇万六〇〇〇円(八〇万二〇〇〇円×三)の損害を被り、加えて、右不法行為により被告は精神的損害を被り、これに対する慰謝料は二〇〇万円が相当である。よつて、被告は原告ら各自に対し、合計四四〇万六〇〇〇円の損害賠償債権を取得した。

四  抗弁に対する認否等

1  抗弁1は争う。

2  抗弁2のうち、被告主張の退職及び退職金にかかる就業規則の規定内容については不知、その余の点は争う。仮に、本件就業規則中に被告主張のとおりの規定部分が存するとしても、本件退職金規定が「懲戒解雇等不都合な行為」による退職の場合のみ退職金不払を定めていること等からして、被告主張の「円満なる手続」によらない退職とは、懲戒解雇あるいはそれに準じる極めて限定されたものを示すものと解すべきであるところ、原告らの退職につき円満なる手続によらないものであるとして被告が主張するところの事実が仮に存するとしても、これが原告らの退職が懲戒解雇等不都合な行為による退職に該当しないものであることは、被告の主張事実自体から明らかであり、従つて、右被告の主張は理由がない。

3  同3のうち、原告らの不法行為についての主張事実は否認し、相殺の主張は争う。本件退職金は、労働基準法(以下、労基法という)一一条にいう賃金であるから、使用者は労働者に対して有する債権を自働債権として賃金債権と相殺することはできない。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因1の事実、同2のうち、原告ら各自が被告に対し昭和五八年八月一五日までに書面をもつて雇用契約解約の申入をし、同年九月一五日から出勤しなくなつたこと、同3の事実、同4のうち、原告らが昭和五八年九月一五日に退職したとした場合、原告らの退職金額が別紙(二)表記載のとおりとなること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁につき判断する。

1  まず、抗弁1につき判断する。

被告は、原告らの退職申出は、就業規則所定の承認がないから、その効力を生じない旨主張する。

成立に争いのない乙一号証、弁論の全趣旨によれば、被告の就業規則一二条は、「退職を願出て、会社が承認したとき、従業員の身分を喪失する」旨規定していること、被告が原告らの退職申出を承認しなかつたことが認められる。

ところで、右規定の趣旨及び適用範囲については、従業員が合意解約の申出をした場合は当然のことであるし、解約の申入をした場合でも民法六二七条二項所定の期間内に退職することを承認するについても問題がないが、それ以上に右解約予告期間経過後においてもなお解約の申入の効力発生を使用者の承認にかからしめる特約とするならば、もしこれを許容するときは、使用者の承認あるまで労働者は退職しえないことになり、労働者の解約の自由を制約することになるから、かかる趣旨の特約としては無効と解するのが相当である。

従つて、本件の場合、右就業規則所定の承認がないからといつて原告らのなした解約申入れの効果が生じないとはいえず、被告の右主張は採用できない。

2  次に、抗弁2につき判断する。

前掲乙一号証によれば、退職金を支給する場合につき、被告の就業規則がその一五条において、「会社は、従業員が円満なる手続により退職するか、または死亡したときは退職金を支給する。退職金支給規定による。」と規定し、そして、退職の手続については、同規則一三条において、「従業員が退職を希望するときは、一ケ月前に退職願を所属上長を経て提出し、会社の承認を受けなければならない。但し役付者は二ケ月前とする。」と規定し、同規則一四条において、「従業員が……退職したときは、直ちに業務の引継をなし……。」と規定していることが認められる。

しかしながら、(一)前掲乙一号証、成立に争いのない乙三号証によれば、被告の就業規則の附属規定であるところの本件退職金規定を含む給与規定は、退職金不支給の場合につき、その三一条において「従業員が懲戒解雇等不都合な行為によつて退職するときは、退職金を支払わないことがある。」と規定し、本件退職金規定は、その規定上退職金不支給の場合を懲戒解雇あるいはそれに準じるものに限定していることが認められること、(二)退職金について使用者が就業規則中に規定を設けて、予めその支給条件を明確にし、その支払が使用者の義務とされている場合には、退職金は労基法所定の賃金に当ると解するのが相当であるところ、右(一)の認定事実に加えて、前掲乙三号証により認められる本件退職金規定の規定の内容及び弁論の全趣旨を総合すると、本件退職金は労基法所定の賃金に該当するものというべきこと、(三)そして、退職金が労基法所定の賃金に該当する場合には、懲戒解雇等円満退職でない場合には退職金を支給しない旨の規定があつても、これが労働者に永年の勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為があつた場合についての規定ならば、その限度で有効と解するのが相当であり、労働者に右のような不信行為がなければ退職金を支給しないことは許されないものというべきであり、そうとすると、前記本件退職金規定三一条及び本件就業規則一五条の各規定は、労働者に永年勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為があつた場合には退職金を支給しない旨の趣旨の限度で有効であり、これを超える趣旨の特約としては無効と解するのが相当である。(四)しかるところ、原告らの退職が前記就業規則一五条所定の「円満な手続による退職」に該当しないとして被告が主張する事由は、いずれも従業員の退職についての手続規定違反を論難するものに過ぎず、仮に、右被告主張事由が存するとしても、その主張事由自体からして、これが労働者である原告らの永年勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為に該当するものといえないこと明らかである。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、右被告主張の抗弁2は理由がない。

3  最後に、相殺の主張(抗弁3)につき判断する。

被告は、被告が原告らの不法行為により被つた損害の損害賠償債権をもつて、原告らの退職金債権と相殺する旨主張する。

ところで、労基法二四条一項は、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」と規定するところ、この規定は、労務の提供をした労働者本人の手に労働の対価である賃金を残りなく確実に帰属させんとする趣旨の規定であるから、労働者の賃金債権に対しては、使用者が労働者に対して有する債権をもつて相殺することは許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当であり、このことは、その債権が不法行為を原因としたものであつても変りはないというべきである。しかるところ、原告らの本訴退職金は労基法所定の賃金に該当すると解されること前記のとおりであるから、被告において、原告らに対する損害賠償債権をもつて、原告らの退職金債権と相殺することは許されないものといわねばならない。

よつて、その余の点について判断するまでもなく、右被告の相殺の主張は失当である。

三  以上のとおりとすると、原告らは、いずれも昭和五八年八月一五日までに書面をもつて退職の意思表示をし、同年九月一五日に退職したものであるから、被告は原告らに対し、本件退職金規定に基づき算定された別紙(二)表記載の各金額の退職金およびこれらに対する原告らが右退職した日より本件退職金規定所定の一か月を経過した後の同年一〇月一六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるというべきである。

よつて、原告らの本訴請求はいずれも理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 千川原則雄)

別紙(一)、(二)省略

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